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この研究成果は私たちの手で編集されM大学出版より『日本における医療費の抑制』という題で本年出版された。
第一段階の研究が完成する目処が立った段階で、第一の段階として、実証研究の成果を土台としてH本の医療制度をもっと広くアメリカ国民に紹介するための本の執筆に着手した。
無味乾燥な制度や統計の説明に陥ることなく、読み物としてもおもしろく、それでいて制度の本質を伝えるのは至難の業であり、試行錯誤の連続であった。
その過程で、日本の医療制度を貫いている考え方は「バランス」であるという結論に至った。
医療提供者の間、保険者の間、および医療提供者と保険者の間にそれぞれバランスを保つことが最優先されており、こうした原則は現状維持的ではあるが、経済学の市場原理を医療にそのまま当てはめるよりは、医療の特異な構造に適しているように思われた。
実は、筆者は、医療において競争原理を導入する可能性を分析し、『医療の政策選択』という題の本にかつてまとめたが、本書を執筆した結果、その難しさを改めて認識した。
ともあれ、こうした経緯でケンブリッジ大学出版から刊行される本書の英語版の題は当馬策におけるバランスの『低医療費で平等な日本の医療体制の維持』とした。
稿を終えるに至って、医療がいかに日本の社会の縮図であるかを改めて実感した。
バランスは日本古来の「和」の精神に基づいた原理であり、対立点を表立てないで当事者だけの話し合いで解決しようとする傾向は日本の社会に普遍的に見られる。
また、情報開示の遅れ、専門知識の軽視、将来の拡大を前提とした終身雇用型の大学医局制度など、そのどれをとっても正に社会全体の縮図であるといえよう。
現在、こうした日本の社会体質は批判の対象となっており、規制緩和、情報の公開、会社人間からの脱皮などが叫ばれている。
筆者も、確かにこのような政策転換が必要であると考えているが、医療は他の分野と大きく異なる性質を持っていることに十分留意する必要がある。
それは国民全員が医療を基本的には平等に受ける権利があり、また患者には医療サービスの質が判断しにくい点である。
このような制約があるために市場原理を単純に適用することはきわめて困難であり、したがって、医療分野においては理論よりも実践的な経験則が、また上からの抜本改革よりも当事者による地道な改善の積み重ねのほうがそれぞれ効果的であるように思われる。
確かにアメリカでは政府と企業が市場原理に従って規制緩和やリストラを強力に推進した結果、経済の活性化には成功したが、医療政策は失敗に終っている。
こうした状況は日本と正に対照的であり、換言すると、医療についてはたとえ場当たり的な印象を与えても「バランス」を重視した日本の政策決定プロセスのほうが優れていたといえよう。
それゆえ、日本の医療制度にも早急に改善しなければならない多くの問題点が存在することも事実だが、制度の骨格部分についてはアメリカに対して基本的に教示する立場にあり、こうした問題意識に立って本書の執筆を行った。
最後になったが、本書を書くうえでは多くの方々にお世話になり、感謝を申し上げたい。
がんの予防には「がん」とはどんなものか、あるいは「がん」はどういう経緯で出てくるのかという基本をじっくりみることから始めなければならない。
身内をがんでなくした人にとって、がんは憎い天敵にもみえるだろう。
しかしがんを憎むべきもの、排除すべきものとばかり考えていてはがんの本当の姿がみえてこない。
がんに対する適切な対応ができないかもしれないのである。
まず、がん細胞はどうして生まれてくるのだろうか。
比喩的な表現が許されれば、がん細胞とは老化したり弱ってきた正常細胞の身代わりとして、あたかも救世主のように元気いっぱいの「強い細胞」として期待されながら生まれてきたもののようにみえる。
いささか逆説的な表現だが、がんは少なくともわれわれの身体と闘うべく生まれてきたのではないようだ。
だから周辺の正常細胞はがん細胞を「憎い奴」としてではなく、「わが友、わが協力者」と受けとめる。
となるとがん細胞は生体から排除されるような抵抗をうけることもなく、弱った細胞の代役を果たそうとする。
だが残念ながら、がん細胞は増殖するだけで、正常細胞の本来もっている代謝機能を十分に代替するまではいかない。
しかも生まれてからの時間経過とともに、無限に増殖をつづけながら次第に勝手気ままな行動をとるようになり、果ては生体を食いものにしてしまう。
しかしがん細胞は生体を食いつくすことによって自分自身までが死んでしまうことには気づかないのである。
がんに対するこのような考えはいささか無理があって、がんに対し同情的すぎるとお叱りをいただくかもしれない。
しかしわれわれは「がん」を単に撲滅すべき憎き天敵として、勇ましく挑戦的にみるだけではいけないのではないか、ということをまず最初に言っておきたいのである。
ときにはがんの生まれてきた背景を考え、またときには新しい生物(がん)に対する畏敬の念をもち、さらには身内のものへの親しみの気持ちをもつことも必要なのではないだろうか。
がんに対する見方に憎悪以外の多面的な理解と、そのための気持ちの余裕が欲しいのである。
がんはいつかなくなるか。
がんは三つの姿をもっている。
一つは老化病としてのがん、もう一つは遺伝病としてのがん、最後は環境病としてのがんである。
まず老化病としてのがんだが、生きとし生けるもの必ず年をとって老化するように、細胞の「がん化」は細胞の「老化」とかなり密着しているようである。
事実、がんは例外はあるが年齢的には老化とともに増えてくる。
つまりがんは一つの「老化病」なのである。
医学の進歩でがんが治り、これだけ多くのがん患者が救われているにもかかわらず、がんによる死亡者がどんどん増えているのも、要するに高齢者が増えているからに他ならない。
がんは遺伝的な背景もある。
遺伝が強くかかわったがんは二〇種ほどあるが、それはさておきわれわれの日常でも、タバコをいくら吸ってもがんにならない人、またタバコを吸わなくてもがんになる人がいるように、がんになりやすい素因を持っている人、逆にがんになりにくい素因の人がいる。
がんになっても治療がよく効き治りやすい人、逆に治りにくい人もいるようで、ここにもなにか生体の遺伝的背景がありそうである。
つまりがんは広い意味で、一種の「遺伝病」なのである。
がんを老化病とか遺伝病と決めつけることは極端な考えではあるが、がん化の謎の一面に老化との関係、あるいは遺伝との深い関係があるという意味である。
がんはもう一つ「環境病」でもある。
「環境病」としてのウェイトは三つのがんの原因のなかではおそらくもっとも大きい。
現在、環境中の発がん因子はかなり多くが検出、同定されてきたが、残念ながらこれによってなぜ正常細胞ががん化するのか、なぜ悪性化していくのかという仕組みはまだ必ずしもよくは分かっていない。
基本的には「突然変異」によって受けた細胞の遺伝子の傷が長い間にたくさん蓄積されて、細胞はがん化し次第に悪性化していくと思われる。
このように医療の質の評価は困難なので患者に代わって保険者が行い、最適と評価された医療機関とだけ契約して加入者に受診させる方法も考えられるが、実はこれにも大きな問題がある。
保険者として他者との競争に勝ち抜くためには、最高の医療を最低の保険料で保証する必要があるが、それを実現するためには低いコストで質の高い医療を提供する医療機関を探す努力をするよりも、病気になりそうな者をできるだけ排除したほうがはるかに効率的である。
そうなると最も医療保険を必要としている人々が保険に加入できなくなるが、こうした弊害を防止するためには、加入を希望する者があれば保険老として拒否できないようにし、病気にかかりやすい人が多く加入したために生じた費用の超過については、国などが調整する必要がある。
だが、そのための適切な方法は未だ開発されていない。
第三に、仮に第一と第二の問題が解決されたとしても、もう一つ大きな問題がある。
それは、だれしも最高の医療を受けたいと思っているので、日甲高と分かった医師や医療機関に患者が集中することである。
そのための対処方法は三つしかない。
その-つは、今の大病院のように来た順に待つことであるが、それには自ずと限界があり、また待つほどの余裕がある者しかその医師にもてもらえないという不公平が生じる。
二つ目は、住宅公団の人気住宅のようにくじで決める方法であり、くじに当たった幸運な患者だけがみてもらう方法であるが、これも現実的ではない。
ただし、救急車によって運はれた病院にたまたま専門の医師がいるかどうかで助かる場合も実際にあり、この場合はくじと同じ状況にある。
三つ目は最も常識的なお金で解決する方法である。
ところが、お金で決める場合(換言すれば市場原理が忠実に適用される場合)には、当然ながらお金をたくさん払える患者が最高の医療を受けることになり、一方、払えない患者はレベル以下の医療しか受けられないことになる。
もちろん医療機関としては、最高の治療成績を出して最高の支払をもらえるように努力することが期待できるが、施設設備面等にはもともと格差があり、また地理的条件の制約があるためにこうした努力にも限界がある。
その結果、医療撥関はお金がある人々を対象としたところと、そうでない人々を対象としたところに分かれることになる。
こうした状況を国民として受け入れられるならば、市場原理がもっと適用できるように医療制度を改革してもよいが、受け入れられるとは到底思えない。
そのうえ、平等の原則を放棄しても、公的に負担しなければならない費用は必ずしも低下するとは限らない。
むしろ短期的には確かに低下するかもしれないが、長期的には上昇すると思われる。
というのは、お金がない患者に対しても基本的な医療サービスを依然として保障する必要があるが、医療の場合は「基本的なレベル」と、「それ以上のレベル」の問に線を引くことはきわめて困難である。
そして、仮に引いても、「それ以上のレベル」にまで「基本的なレベル」を引き上げようとする圧力が必ずおこるので、公的で負担する医療費も最終的には増えることになる。
こうしたメカニズムが働くために、アメリカでは医療費の高騰と医療における不平等の拡大が同時におこっている。
以上のような構造を医療は持っているために、「医療経済」にも「消費者主義」にも限界があるといえよう。
一方、「科学主義」は標準化した均一の医療サービスを目指しており、それによって医師全員が一定のレベルに達することができれば、患者が最高の医療を提供する医師に集中する問題に対する根本的な解決策となり、こうした観点からもっと評価する必要があろう。
しかしながら、医療は依然として臨床医の経験と勘に療っている要素が大きいので、専門医が決めた「標準」だけで判断するのは危険であり、また「標準」が必要以上に高く設定されて医療費が高くなる可能性についても留意する必要がある。
標準化した医療サービスを提供するうえで、情報化によるデータベースの構築は大きく寄与すると考えられる。
自分の行った診療によるアウトカムを標準と比べることにより質の向上が期待でき、こうした観点から情報化は患者よりも医療提供者に大きなインパクトを与えることになろう。
また、かかりつけ医が患者のニーズにあった最適な医師を選び、紹介するうえでも情報システムは役立つであろう。
したがって、筆者としては、医療においては日本がこれまで堅持してきた基本理念を改めて評価する必要がある、という結論に至った。
つまり、厚生省としては地域住民に平等な医療を提供できるように計画する「公衆衛生の実践」の重要性を再認識し、そのための財源を確保して、個々の集団の利益を超えた公平な立場に立つ必要がある。
一方、日本医師会としては、今後とも「プロフェッションとしての自由」を掲げ、各種の統制から医師の診療の自由を守る必要がある。
最後に国民が医師に対して求めている「献身的サービス」は幻想にすぎないかもしれないが、「医療経済」のモデルに従って医師は所得を最大にしようとしている、という前提に立つよりも受け入れやすいのではないだろうか。
というのは、患者が消費者として最大の効用を最小の費用で求めるという前提を置く以上は、医師も供給者として最小の費用で最大の収入を得るように行動しても非難できないからである。
以上のように現状の礼賛のように受け取られるかもしれないが、筆者の意図は決してそうでない。
医療政策の決定がデータに基づいてより適切に行われるためには「医療経済」が、医療に対する不信を払拭し、患者の要望がもっと反映されるためには「消費者主義」が、またプロフェッションとしての質を確保し、全体としてのレベルアップを図るためには「科学主義」がそれぞれもっと必要であると思っている。
そして、こうした新しい方向性は経済原則の適用が比較的容易な介護サービスの面においてとくに重要である。
しかしながら、経済学的なモデルを医療に全面的に当てはめようとするのは大きな間違いであると考えている。
確かに現在の制度には構造的な欠陥があるように感じられるが、これまでのバランスを重視した日本の医療政策によって国民皆保険、あるいは医療費の抑制といった大きな政策目標を実現しており、その結果、基本的には平等な医療体制が国際的にみて低い医療費の水準で達成されている。
したがって、新しい理念を取り入れるべきところは取り入れ、筆者が提言したような改革を行うことによって、二一世紀の困難な政策課題にも対応することができよう。
本書を書き終わってほっとした気持である。
書くきっかけは、今から五年も前の平成三「九九二年の夏、日米交流基金が発足して両国に関連ある研究プロジェクトに対して助成するという知らせを聞いた時である。
当時アメリカでは大統領選挙の大きな争点が医療改革であり、こうした関係で諸外国の制度に対する関心が高まっていたが、日本の状況についてはほとんど知られていなかった。
そこで、二人で日本の医療制度をアメリカの医療改革のための一つのモデルとして提示することを思いつき、さっそく研究計画を出して応募したところ、幸いにも採用された。
研究プロジェクトは二段階に分かれ、まず日本の比較的若手を中心とした研究者に日本の医療についての実証分析を依頼し、それがアメリカで要求される高い研究レベルに沿うように、H大学のシャオ教授やJ大学のアイゼンバーグ教授を始めとする著名な研究者に助言をお願いした。
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